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広島地方裁判所 昭和53年(わ)750号 判決 1982年12月24日

裁判所書記官

湯川俊男

本店所在地

広島県福山市松浜町一丁目七番三号

法人の名称

日東観光株式会社

代表者の住所氏名

広島県福山市西深津町六四番地の一

中本好男

本籍

広島県福山市西深津町六四番地の一

住居

右同

会社役員

中本好男

昭和一六年九月一二日生

右両名に対する各法人税法違反被告事件について、当裁判所は検察官高塚英明出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

被告人日東観光株式会社を罰金一五〇〇万円に、被告人中本好男を懲役一年に、各処する。

被告人中本好男に対し、この裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人日東観光株式会社は、昭和四九年二月九日設立登記を経由した会社であって、同日から昭和五〇年九月三日までの間は神戸市葺合区生田区二丁目二二番地に、同月四日から昭和五二年一〇月一八日までの間は同市生田区多聞通二丁目二六番地に、同年一〇月一九日以降は広島県福山市松浜町一丁目七番三号に、それぞれ本店を置いて、飲食店営業等の事業を営んでいるものであり被告人中本好男は、昭和四九年二月九日から昭和五〇年九月三日までの間は被告会社専務取締役、同月四日以降は同会社代表取締役の地位にあって、代表取締役就任前から被告会社の業務を事実上掌理し、代表取締役就任後は業務を統轄して来たものであるところ、被告人中本好男は、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、

第一  昭和四九年一〇月一日から昭和五〇年九月三〇日までの事業年度(被告人日東観光株式会社の設立年度を基準にして数えた決算期の事業年度の呼称で第二期、以下右基準により呼称する。)の被告会社の実際所得金額が一億五二九一万九四三八円であって、これに対する法人税額が六〇三二万七六〇〇円であるにもかかわらず、売上の一部を除外するなどしてこれを仮名預金にするなどの不正行為により所得の一部を秘匿したうえ、昭和五〇年一二月一日神戸市生田区中山手通三丁目二一番二号所在の所轄神戸税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の所得金額が五〇九四万五五二五円であって、これに対する法人税額が一九五三万八〇〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により被告会社の右事業年度の正規の法人税額と右申告税額との差額四〇七八万九六〇〇円の法人税を免れ、

第二  昭和五〇年一〇月一日から昭和五一年九月三〇日までの事業年度(第三期)の被告会社の実際所得金額が六八三三万四四四七円であって、これに対する法人税額が二六二九万三〇〇〇円であるにもかかわらず、前同様の不正の方法により所得の一部を秘匿したうえ、昭和五一年一一月三〇日前記神戸税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の所得金額が六〇八八万二六七七円であって、これに対する法人税額が二三三一万二二〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により被告会社の右事業年度の正規の法人税額と右申告税額との差額二九八万八〇〇円の法人税を免れ、

第三  昭和五一年一〇月一日から昭和五二年九月三〇日までの事業年度(第四期)の被告会社の実際所得金額が一億二四六七万九二九五円であって、これに対する法人税額が四八六〇万八一〇〇円であるにもかかわらず、前同様の不正の方法により所得の一部を秘匿したうえ、昭和五二年一一月三〇日広島県福山市三吉町二丁目二五〇番地の三所在の所轄福山税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の所得金額が六五四〇万二三〇二円であって、これに対する法人税額が二四八九万七三〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により被告会社の右事業年度の正規の法人税額と右申告税額との差額二三七一万八〇〇円の法人税を免れ

たものである。

(なお、前期各事業年度の実際所得金額ならびに正規法人税額、ほ脱税額の各算出は、別紙修正損益計算書(一)ないし(三)ならびに税額計算書(一)ないし(三)のとおりであって、第三期及び第四期の実際所得金額については、右修正損益計算書(二)及び(三)の各勘定科目欄「当期利益」の公表金額と当期増減金額のうち犯則金額とを加えた金額の限度で計上した。)

(証拠の標目)

判示全事実

一  被告人中本の検察官に対する供述調書

一  被告人中本の大蔵事務官に対する昭和五三年二月一三日付、同月一四日付、同月一五日付、同年六月二一日付、同年一〇月二日付、同月三日付、同月一二日付各質問てん末書

一  被告人中本の当公判廷における供述

一  第四回及び第五回各公判調書中の証人戸田健二の供述部分

一  証人戸田健二の当公判廷における供述

一  第六回及び第七回各公判調書中の証人洪政雄の供述部分

一  証人洪政雄の当公判廷(第一七回公判期日)における供述

一  証人蔡芳石に対する当裁判所の尋問調書

一  第一〇回公判調書中の証人蔡芳石の供述部分

一  第一一回ないし第一四回各公判調書中の証人畑本義雄の供述部分

判事冒頭の事実

一  登記官作成の商業登記簿謄本四通(被告会社に関する関係)

判示第一ないし第三の各事実

一  証人岡本雅美の当公判廷における供述

一  大蔵事務官畑本義雄作成の昭和五三年五月三一日付調査事績報告書

一  大蔵事務官山口勲作成の昭和五三年八月四日付(検179号)同年一〇月二四日付(二通)各調査事績報告書

一  大蔵事務官松岡正之作成の昭和五三年二月二三日付調査事績報告書

一  大蔵事務官柏信憲二作成の昭和五三年四月二六日付調査事績報告書

一  中山崇、柳井豊の大蔵事務官に対する各質問てん末書

一  広江喬、山川嗣生、首藤澄香作成の各証明書

一  広江喬、山川嗣生作成の各上申書

一  押収してある日東観光法人税決議書綴一冊(昭和五四年押第八〇号の1)、決算書類関係綴一冊(同押号の15)領収証一綴(同押号の70)、領収書綴一綴(同押号の71)

判示第一、第二の各事実

一  証人榊原君子に対する当裁判所の尋問調書

一  第一〇回公判調書中の証人横山久明の供述部分

一  証人横山久明の当公判廷における供述

一  大蔵事務官山口勲作成の昭和五三年五月三一日付調査事績報告書

一  検察事務官星出英樹作成の昭和五五年二月一八日付報告書

一  押収してある大学ノート一冊(同押号の18)JCB、DC、UOクレジット未収金控一冊(同押号の72)、会社未収金控一冊(同押号75)、ホステス未収金帳(No.4)一冊(同押号の79)

判示第二、第三の各事実

一  大蔵事務官畑本義雄作成の昭和五三年四月一五日付調査事績報告書

一  大蔵事務官前原非利作成の昭和五三年一〇月二四日付(検184号)、同年八月一二日付各調査事績報告書

一  洪政雄作成の昭和五三年五月一二日付、同月一八日付(二通)、同月三一日付各上申書

一  堀内信夫作成の昭和五六年九月二九日付報告書

一  押収してあるリストメンバー表二一冊(同押号の4の1ないし21)、収支日計元帳三冊(同押号の11ないし13)クレジット控一冊(同押号の73)、会社未収金控一冊(同押号の76)

判示第一の事実

一  押収してある普通預金通帳(藤川恵美名義)一冊(同押号の2の1)、通知預金通帳四冊(同押号の3の1ないし4)、計算書類及び附属明細書(第二期)一冊(同押号の7)、収支日計元帳一冊(同押号の10)、会社未収金控一冊(同押号の74)、ホステス未収金帳(No.2)(No.3)二冊(同押号の7778)、税徴収整理簿綴一冊(同押号の51)、第一期科目記入帳(日東興業株式会社)一冊(同押号の82)、稟議書綴一冊(同押号の83)

判示第二の事実

一  被告人中本の大蔵事務官に対する昭和五三年二月一七日付質問てん末書

一  証人洪政雄の当公判廷(第二二回公判期日)における供述

一  大蔵事務官畑本義雄作成の昭和五三年一〇月二四日付調査事績報告書の抄本(検206号)

一  大蔵事務官山口勲作成の昭和五三年八月四日付調査事績報告書(検180号)

一  押収してある計算書類綴一冊(同押号の6)、計算書類附属明細書(第三期)一冊(同押号の8)、日東観光(株)総括関係綴一冊(同押号の16)、訴訟関係綴一冊(同押号の17)、昭和五〇年一二月分支払領収書、昭和五一年一月分支払領収書各一綴(同押号の20 21)、ホステス未収金綴(No.5)一冊(同押号の80)、勘定書綴四八綴(同押号の84の1ないし、85の1ないし15、86の1ないし15、87の1ないし13)、領収書綴一綴(同押号の88)、パーテイ券伝票一綴(同押号の93)、賃貸借契約書関係綴一綴(同押号の91)、敷金返還状況経過説明三枚(同押号の94の1)、同貼付符箋一枚(同押号の94の2)、上記二通在中の封筒一枚(同押号の94の3)

判示第三の事実

一  第九回公判調書中の証人洪桂森の供述部分

一  大蔵事務官畑本義雄作成の昭和五三年一〇月二四日付(検176号)、同前原非利作成の昭和五三年一〇月二四日付(二通、検183号、同186号)各調査事績報告書(但し畑本義雄作成の調査事績報告書は抄本)

一  洪桂森作成の上申書及び答申書

一  押収してある売上実績グラフメモ三枚(同押号の5)、計算書類及附属明細書(第四期)一冊(同押号の9)、収支日計元帳一冊(同押号の14)、五二年一二月分営業概況メモ(同押号の19)、ホステス給料明細表一三冊(同押号の31ないし33、60ないし69)、昭和四九年度分従業員出勤簿台帳一冊(同押号の22)、従業員出勤簿一冊(同押号の23)、昭和四九年度分従業員給料台帳一冊(同押号の26)、従業員給料台帳一冊(同押号の25)従業員賞与及び努力賞台帳一冊(同押号の27)

(補足説明と争点に対する判断)

〔なお、以下の記述において、証拠を挙示する場合、その表示は被告人中本の供述を含めて、人証については当公判廷におけるものか否かを問わず「被告人中本の供述」、「何某証言」と略記し、物証については符番号のみを記載する。〕

第一売上除外の行為者について

弁護人は、公訴事実第一の昭和五〇年九月期決算分について、売上除外をした者は被告人中本ではない。同被告人は昭和五〇年九月二七日までは代表権のない専務の肩書を有する営業部門の責任者に過ぎず、それまでは最大の株主で、かつ代表取締役の蔡芳石(以下芳石と略す)が被告会社の人事、金銭面の最高責任者であり、同人が被告会社を統轄支配していたのであり、また関与税理士の戸田健二が被告会社の決算、納税申告書の作成提出等の経理面の最高責任者の地位にあり、同人らにおいて売上除外を行った旨主張する。

しかしながら、被告人中本の供述、同被告人の大蔵事務官に対する昭和五三年二月一三日付、同月一四日付、同月一五日付、同月一七日付、同年六月二一日付、同年一〇月二日付、同月三日付、同月一二日付各質問てん末書、同被告人の検察官に対する供述調書、洪政雄、蔡芳石、戸田健二の各証言、訴訟関係綴一冊(符17)によれば、

「被告人中本は、昭和三六年に一九才で神戸のキャバレーでボーイとなり、約三年間働いた後、神戸でクラブの支配人、次いで営業部長として約八年間稼働し、その間神戸でスタンドバーを経営する芳石と知り合って、昭和四五年一二月頃、同人と水商売の店を開くことになり、翌四六年一月頃、芳石の出資で日中興業株式会社が設立され、芳石の妻が登記上の代表取締役となり、福山でクラブハレムを開店し、専務の肩書をもつ被告人中本において、長年にわたる水商売の営業経験を生かして同クラブの責任者となり、神戸から連れて来たスタッフと共に営業に従事し、毎日閉店後、日々の売上等の営業状況を電話で神戸の芳石に報告し、翌日頃売上金を芳石のもと銀行送金していたこと、同年九月頃、芳石の出資で中日観光株式会社が設立され、同人が代表取締役に就任し、福山でキャバレーチャイナタウンを開店したが、芳石は依前神戸に居住しており、被告人中本が専務の肩書を貰って営業の責任者となったこと、そして日々の売上等の報告は、前記クラブハレムの場合と同様の方法をとっていたが、売上金等の金銭は芳石が派遣した同人の実弟蔡芳田が管理しており、芳石が神戸から月に二回位来福して営業状況を視察する際、芳田から月に合計五〇〇万円ないし六〇〇万円位の現金を簿外で受取っていた。

その後、昭和四八年頃、芳石や被告人中本、芳田らの出資で日華観光株式会社が設立され、芳石が代表取締役、被告人中本が専務となり、広島でキャバレーエンパイア、次いで二ケ月位後にスナック異邦人をそれぞれ開店し、被告人中本が右二店の営業責任者に就任し、日々の売上等を各店の担当者から報告を受けてこれを神戸の芳石に報告し、売上金を芳石のもとに銀行送金していた。なお、被告人中本は、後記のとおり、その後福山で開店したキャバレー月世界の営業責任者となり、多忙を極めたことから昭和五〇年頃、日華観光株式会社からは退任した。

被告人中本は、昭和四八年秋頃福山に営業不振のボーリング場があることを知り、その建物を賃借してキャバレーを開く計画をたて、翌四九年二月九日芳石の出資で資本金一〇〇万円の被告会社を設立し、芳石が代表取締役、被告人中本が代表権のない専務取締役に就任したこと、そして芳石が四五〇〇万円の敷金を出捐して右建物を賃借し、改装のうえ同年四月七日キャバレー月世界を開店し、その営業一切は被告人中本が担当し、経理は同被告人の知人で元金融機関職員の洪政雄が経理部長に就任して担当し、日々の売上は、閉店後右洪においてレジスター係の報告に基づくメモ書によって報告人中本に報告し、次いで同被告人が神戸に居住の芳石に電話で連絡していた。

月世界の営業は順調で、売上は伸びていたところ、開店後二か月を経過した昭和四九年六月頃から、芳石と被告人中本との間で現金売上の一部を除外して裏金を作り、これを芳石が七割、被告人中本が三割の割合で分配することとし、同被告人が洪経理部長に指示して現金売上の多いビッグショウ開催日の現金売上から資金繰りに困らない程度を目安に適宜の金額を除外させ、翌日頃店舗建物三階の社長室において右洪から、表に除外した金額と破棄した勘定書(売上伝票)の枚数を明記した封筒入りの現金を受取り、室内の金庫に一時保管し、芳石が神戸から月に二回位営業状況視察のため来店した際に、同人に手交し、同人が福山に転居した同年九月頃からは、月末にまとめて手交していたが、芳石が設立当初から経営権に執着していた被告人中本に月世界を乗っ取られるとの危惧を抱き、同被告人と反目するようになった昭和五〇年二、三月頃以降は、芳石に対し裏金を分配することを止めた。

なお、被告人中本は自己が分配を受けた裏金のうち、一部を洪や他の役員に分配していた。

ところで、芳石と被告人中本間の被告会社の経営権をめぐる対立は、同年三月頃、芳石が同被告人や、他の役員を一方的に役員から外す措置をとったことから、裁判上の争いとなったが、両者間の話合で、芳石が被告会社代表者の地位を退き、被告人中本がその後任となることで争いを止めることになり、昭和五〇年九月二九日裁判上の和解が成立したが、右紛争の期間中被告人中本は同人に従う他の役員らとともに月世界の営業に当り、経理も前記洪が担当し、また和解の成立に先立つ同年七月以降は、被告人中本が芳石に代わって事実上代表者として経営に当っていた。」

以上の事実が認められるのであって、これによれば、被告人中本は長年にわたり水商売の業界に身を置き、責任者として営業に従事して来ていたものであって、芳石の出資で開店したキャバレー、クラブ等の営業についても、出資者の芳石から一任されてこれに当る程の手腕を有していたものであることからすると、同被告人は水商売の営業については、その経理面を含めてその表裏に通じており、月世界についても事実上その業務を掌理していたものとみられるものであり、ただ被告会社の事実上の代表者となった昭和五〇年七月以前の時期においては、売上金等の金銭の処分について芳石が出資者として発言権を有しているため、被告人中本が独断専行できず、その限度において芳石の統轄下にあったに過ぎないものであって、「月世界」売上金の一部除外による裏金作りについては、芳石と被告人中本との利害が一致し、前認定のような割合で配分することとし、同被告人が自ら部下の洪経理部長に指示して裏金作りの実務を担当させ自らも裏金の一部の分配に与り、さらに配分を受けたうちから、一部を他の役員や洪らに分配していたものであるから、同被告人は売上除外という不正経理操作の実行々為者に該るものといわなければならない。

第二本件確定申告書の作成提出者について

弁護人は、公訴事実第一ないし第三、すなわち昭和五〇年九月期ないし昭和五二年九月期の各事業年度の確定申告書を作成し、これを所轄税務署長に提出したのは被告人中本ではない。昭和五〇年九月期と翌五一年九月期の各確定申告書は関与税理士の戸田健二会計事務所の岡本雅美が、昭和五二年九月期の確定申告書は戸田税理士自らが、それぞれほしいままに申告書の代表者署名押印欄に被告会社代表取締役である被告人中本の氏名を記載し、かつ押印して作成したものであり、その提出も戸田会計事務所において行なったものであって、確定申告書の作成提出について被告人中本は全く関知していない旨主張する。

しかしながら、戸田健二、岡本雅美、洪政雄の各証言、被告人中本の検察官に対する供述調書、同被告人の大蔵事務官に対する昭和五三年二月一三日付質問てん末書、日東観光法人税決議書綴一冊(符1)によると、

「被告会社の設立(昭和四九年二月九日)以来、日常の経理処理については、被告会社側では、経理部長洪政雄が月世界の日々の収支を計上した収支日計元帳、その他銀行勘定元帳、手形帳等の経理関係書類を作成し、これに基いて同人が毎月、当月分の試算表の一部(当月分綴)を作成し、関与税理士戸田健二会計事務所では、これら月世界の経理書類、その他呉所在店舗の経理書類に基いて、被告会社の税務関係の事務を担当していた事務員の岡本雅美(なお、同人は昭和五一年一二月税理士資格を取得し、その後は税理士として同所に勤務していた)が、不明な点を洪経理部長に問い合わせるなどして確認のうえ各月の試算表を完成していたこと、そして、決算処理については、右岡本が各月の試算表に基き、定型的な事項については自らの判断で、非定型的な事柄については戸田税理士の指示を受け、なお不明の点については、さらに洪経理部長に照会して、損益計算書、貸借対照表、その他継続明細書等の決算書類の原案を作成し、これを戸田税理士に提出し、同税理士において、概ね各年の一一月二〇日過ぎ頃に予め電話で被告会社代表者の被告人中本に対し、右原案に基いて売上高、経費等の経理状況、決算利益、納付すべき法人税等の税額を報告して同被告人の承諾をとったうえ、決算書類、法人税等の確定申告書を清書し、これを持参して各年の一一月末に近い頃福山に赴き、会社事務所において右書類を提示して、被告人中本らに売上高、決算利益、課税所得、納税額等その内容を説明し、さらに納税の方法として分納の要否についても協議のうえ決算や確定申告の内容を確定していた。

なお、法人税確定申告書の別表一の(一)中の代表者署名押印欄については、昭和五〇年九月期と翌五一年九月期の場合は、清書をした前記岡本が予め代表者の氏名として被告人中本の氏名を代筆していたので、前記のとおり戸田税理士が福山に出向いて決算や確定申告の内容を確定した席において、被告人中本から捺印を得てこれを持ち帰り所轄税務署長に提出したこと、また昭和五二年九月期の場合は、戸田税理士が確定申告書を清書し、代表者の氏名として被告人中本の氏名を代筆し、前同様確定の席において被告人中本から捺印を得て、なお当期には納税地が福山に変更されていたため、洪経理部長に所轄の福山税務署長に提出するよう依頼して右申告書を交付した。」

以上のとおり認められるのであって、これによれば、被告人中本が被告会社代表者として本件確定申告書の作成、提出に関与していたことは明らかといわなければならない。

なお、被告人中本の供述中には、昭和五〇年九月期ないし昭和五二年九月期の各確定申告書の別表一の(一)中の代表者署名捺印欄の押印は全く関知しないものである旨の供述があるが、日東観光法人税決議綴一冊(符1)によると、昭和五〇年九月期ないし昭和五二年九月期の各確定申告書別表一の(一)中の代表者署名押印欄の中本の押印の印肉の色と、同表中の関与税理士戸田健二の押印の印肉の色とは明らかに相違するので、同一の機会に押印されたものとは解し難いことや、大塚美智男の証言、広島県警察本部刑事部犯罪科学研究所長作成の「鑑定結果について(回答)」と題する書面、中本好男名義の差押物件還付受領証と中本トキ子の昭和五二年分所得税確定申告書(符95)にそれぞれ押捺されている印影によれば、昭和五一年九月期の確定申告書に用いられた印章は、本件での差押物件を還付された際に被告人中本が使用し、かつ同被告人の妻中本トキ子が所得税確定申告書に際し使用した印章と同一の物であると推認され、これらの事情に前認定の事実関係を併わせ考えると、前記被告人中本の供述は到底信用できないものというほかはない。

第三被告会社の責任について

前記第一、第二で説示したとおり、被告人中本は、被告会社代表者に名実共に就任した昭和五〇年九月以前においても、その水商売営業の長い経験、営業手腕から事実上被告会社の業務を掌理していたものとみられるばかりでなく、売上除外という不正行為を行った者であるから、同被告人が名実共に代表者に就任する以前においても、同被告人は法人税法一五九条一項所定の「その他の従業者」として、法人税法違反の行為をしたものというべきであり、また昭和五〇年九月期から昭和五二年九月期の過少申告を内容とする各確定申告書の作成、提出にについては、被告会社代表者としてこれに関与したものといわなければならないから、被告人中本の被告会社の業務に関する右違反行為について、被告会社は法人税法一六四条一項所定の刑事責任を免れることはできないというべきである。

第四  判示第一ないし第三の各事業年度の実際所得金額算出根基の勘定科目別金額は別紙修正損益計算書(一)ないし(三)のとおりであるところ、各期の公表金額(右修正損益計算書上の公表金額欄の金額)は、日東観光法人税決議書綴一冊(符1)中の各期確定申告書添付損益計算書によって明らかである。

そこで、争いのある勘定科目中の犯則金額の認定について、以下補足説明をする。

一  売上高について

1. 昭和五〇年九月期

(一) 当期売上高一億九七六三万四五七二円の内訳は次のとおりである。

(1) 売上高圧縮額 七八三八万六一四二円

(2) クリスマスパーテイ券の売上除外高 一五二二万一〇〇〇円

(3) 現金売上除外額 一億四〇二万七四三〇円

(二) 前記(一)の(1)の売上高圧縮額七八三八万六一四二円の認定について

大蔵事務官松岡正之作成の昭和五三年二月二三日付及び同畑本義雄作成の昭和五三年五月三一日付各調査事績報告書、計算書類及び附属明細書三冊(符7ないし9)、決算書類関係一冊(符15)、畑本義雄、戸田健二の各証言によると、被告会社は日々の収支を計上した収支日計元帳、売掛関係帳簿等の公表帳簿に計上した売上高より減額した売上高に相当する料理飲食等消費税(売上高の一〇パーセント、以下、料飲税と略す。)を納税していたため、確定申告に当り、右納税額に相当する売上高を損益計算書に表示して申告(圧縮申告)していたものであり、当期圧縮額の算出は、次のとおりである。

(1) 公表帳簿上の売上高(圧縮前のもの) 九億七〇二一万八二七〇円

(2) 納付料飲税額 八一〇七万五六四八円

(3) (2)に相当する売上高((2)÷0.1+(2)、申告額)八億九一八三万二一二八円

(4) 圧縮額((1)-(3)) 七八三八万六一四二円

(三) 前記(一)の(2)のクリスマスパーテイ券売上除外額一五二二万一〇〇〇円の認定について

大蔵事務官山口勲作成の昭和五三年五月三一日付調査事績報告書、検察事務官星出英樹作成の昭和五五年二月一八日付報告書、普通預金通帳一冊(符2の1)、収支日計元帳一冊(符10)、税徴収整理簿綴一冊(符81)、第一期科目記入帳(日東興業株式会社)一冊(符82)、協議書綴一冊(符83)、洪政雄、畑本義雄、戸田健二の各証言によると、次のとおり認められる。

「被告会社は昭和四九年一二月のクリスマスにパーテイを開くことにし、パーテイ券を発行してホステスに販売させ、ホステスへの所定割戻金を控除した残額を、仮名預金である福山信用金庫本店の藤川恵美名義普通預金に入金したが、その際右売上の一部を預金せず簿外とし、また一旦入金した預金を、その後公表の収支日計元帳に計上したが、一部は被告人中本が簿外で取得した。

(1) 右預金に入金せず簿外とされた売上額は一三六七万一〇〇〇円であるところ、その算出は次のとおりである。

(イ) パーテイ券は一枚三五〇〇円で九三一四枚が販売された。

(ロ) ホステスへの割戻金は、代金回収の期間に応じて、一枚につき次のとおりであった。

一〇月二〇日から一一月一〇日までの回収分につき五〇〇円(パーテイ券売上額は三〇〇〇円)

一一月一一日から一一月二五日までの回収分につき三〇〇円(同三二〇〇円)

一一月二六日から一二月五日までの回収分につき、一〇〇円(同三四〇〇円)

一二月六日以降回収分につき〇円(同三五〇〇円)

(ハ) 藤川恵美名義預金に入金された金額を、前記(ロ)の代金回収期間(ホステスへの割戻金額の多寡による区分期間)に区分し、その区分された入金額をホステスの所定割戻金を控除した残額(即ちパーテイ券売上額)で、それぞれ除すと、結局四七五七枚分の売上額のみが預金されていたことになる(以上の算出経過は別紙第(一)のとおりである)。したがって、販売枚数九三一四枚から、右預金分のパーテイ券枚数である四七五七枚を差引いた残数四五五七枚分の販売代金からホステスへの割戻金を控除した金員が預金されず簿外とされていたことになる。しかして、割戻金の最高額は一枚五〇〇円であるから、少くとも一枚につき三、〇〇〇円(パーテイ券販売代金額三五〇〇円から右五〇〇円を控除した残額)の売上金が除外されたものとみられるから、簿外売上額の合計は一三六七万一〇〇〇円(三〇〇〇円×四五五七枚)となる。

(2) 前記普通預金から、昭和四九年一二月二八日に一五〇万円、昭和五〇年一月二一日に五万円、以上合計一五五万円が引き出され、簿外で被告人中本が取得した。」

(3) 以上によれば、前記普通預金に入金されなかった簿外売上額と被告人中本が右預金から引き出して簿外で取得した全員の合計一五二二万一〇〇〇円がパーテイ券売上除外額であると認められる。

(四) 前記(一)の(3)の現金売上除外額一億四〇二万七四三〇円の認定について

(1) 前記第一で認定したとおり、被告会社はキャバレー月世界の開店から二ケ月経過した頃の昭和四九年六月頃以降、日々の現金売上の一部を簿外としていたものであるが、洪政雄、畑本義雄の各証言によると、簿外売上については、その証拠書類勘定書(売上伝票)を破棄し、ホステスへの指名料払戻の賃料で、後記のとおり売上額算定の資料ともなるリストメンバー表も昭和五〇年一二月末までのものを破棄し、その後のものは除外売上にかかる記録部分を抹消していることが認められる。

(2) そこで、検察官は、当時被告会社常務の肩書をもつ横山久明方において押収した大学ノート一冊(符18)の記載によって実際売上高(なお、右ノートには昭和五〇年二月九日から同年九月二〇日までの間、一二日分の記載がないため、未記載日の売上高については公表帳簿によって算定する。)を算定し、その金額から、公表帳簿上の売上高を控除する方法によって簿外現金売上額を算出しているところ、弁護人は実際売上高算定資料の右大学ノート記載の証拠能力及び信用性を争うので、まずこの点につき判断する。

(イ) 横山久明、榊原君子の各証言によると、「本件大学ノートは、被告会社常務の肩書をもち、キャバレー月世界の営業担当責任者であった横山久明が、月世界開店の昭和四九年四月七日以降、当初約三か月間位は自らノートに記載し、以後昭和五〇年一一月二六日までの期間(なお、月世界のショーに出演するタレント氏名と支払報酬の記載は昭和五〇年一二月二六日まで記載されている)は、月世界で案内係をしていた榊原(当時土井姓)君子に指示して後記のように横山作成のメモに基づき記載させていた右ノート(以下、「旧ノート」という)の記載を、後日榊原において、その形式をそのまま踏襲して本件大学ノートに転記して作成されたものであること、そして、旧ノートは榊原が転記後焼却して現存しないこと」が認められるので、本件大学ノートは原本である旧ノートの写ではあるが、かって存在した原本の正確な写であって、その原本が現存しないものであるから、原本の旧ノートと同様の証拠能力を有するものと解するのが相当である。

(ロ) そこで、旧ノートの証拠能力について考えてみるに、前掲各証言によると、旧ノートは、横山久明が当初約三か月間位は自ら作成し、その後は案内係をしていた榊原君子に対し、出勤ホステスの人数、客の組数、指名数、万単位の売上額、出演タレント名、その支払報酬額を記したメモを手交し、榊原が横山作成のメモに基いて機械的に記入作成したものであるから、旧ノートは横山久明の供述書の性格を有するものと解される。

(ハ) しかして、横山久明証言によると、「横山が旧ノートを作成した目的は、月世界の営業担当責任者として同店における客数や指名数と売上額との関係や、ホステスの出勤状況等を常時把握しておき、社長等から営業状況の報告を求められる際の資料に供するほか、将来自分で営業をする際の参考資料とするためであったこと、そして、旧ノートに記載された数値のうち、出勤ホステスの人数、客の組数、売上額については、その大半は経理部長洪政雄が営業終了後、レジスター係で作成した当日の集計結果を被告人中本(専務)らに報告する際、同席した横山久明が右報告の内容をメモしておき、そのメモしたものを基にして記載されたものであり、右の方法による とができないものについては、横山が後日リスト係からホステスの出勤数、客の組数を聞くなどして数字を把握し、さらに同人の知識経験を交えて両者の数字から売上額を推計し、これらの数値を記入したメモを基に記載されたものであること、右の推計によって得られた売上額の数値のうち、少くとも万単位まで具体的数値を記載したものは真実の売上額にほぼ合致する数値ということができるが、一〇万単位、さらに一〇〇万単位までしか数値を記載していないものについては、同人の知識経験に基く判断ではあるが、やや大まかな推計的判断に基くものであること、横山は現在ではノートの記載内容について記憶を失い、ノートの記載を離れて具体的に証言をすることはできないこと」

畑本義雄証言によると、「月世界の売上額は、昭和四九年六月以降、日々の売上の勘定書(売上伝票)のうち、一部(現金売上で、かつ公給領収証を発行せず、しかもいわゆる本番のもの〔なお、一部、ホステスに払戻を要しない指名分も含む〕について)を破棄して、これに見合う現金を別途保管して売上除外をしていたところ、かかる売上除外をしていなかった昭和四九年四、五月の二か月については、その日々の勘定書の集計結果と、本件大学ノートの売上額の数値は万単位では合致し、売上除外を始めた以後の分については、本件大学ノートの売上額の数値が多額となっていること」

横山久明、榊原君子の各証言と本件大学ノート(符18)によると、「旧ノートの記載内容ないし体裁は、横罫のノートで、一枚目は表裏とも白紙、二枚目は破られており、三枚目表(五ページ目)から記載されていること、一ページに一か月分が日々記載されていること、縦は七行に区分され、横罫に日付が記載され、第一行目に日と曜日の記載があり、第二行目に出勤ホステスの人数、第三行目に客の組数が、いずれも一桁まで記載され、第五行目に売上額が万円単位で記載され、第七行目に出演タレント名と報酬額(一部記載のないものもある)が記載されていること(なお、第四、第六行目は空白となっている場合が多いが、一部には数字が記載され、第四行目の数字は指名客数と認められる)、また客の組数と売上額の各行の最下段には一か月分の集計額が記載されていること、なお、売上額の数値が、その次の行との区画線上に記載されているものがあるが、それは榊原君子証言によると、横山久明から後日手交された紙片に記載された数字であることを示すために、そのような特殊な記載の仕方をしたものであること、以上のような記載の形式で、昭和四九年四月七日(開店当日)から昭和五〇年一一月二六日まで二〇ページにわたり整然と記載されていること」

以上のとおり認められ、これらによれば、旧ノートを作成した横山久明は、当時被告会社の常務の肩書を有し、かつ「月世界」の営業担当の責任者の地位にあったのであるから、同店の営業状況ことに出勤ホステスの人数及び客数と売上額との相関関係について関心を抱いていたことは事の性質上当然のことであると解され、このような事情のもとに、本件公訴提起前の段階において、前認定の経緯で作成され、かつ売上除外の行なわれる前には、ノート記載の売上数値が実際売上額を示す勘定書の集計結果と合致し、かつ横山久明の現在の判断によっても、少くとも万円単位まで具体的数値の記載されているものについては正しいと判断されること、さらには、前記のように帳簿的に記載されているその形式、体裁等に徴すると、少くとも一〇〇万円単位と一〇万円単位までのみ売上額の記載があるもの、及び前認定の次行との区画線上に売上額の記載されたものの両者を除くその余の売上額の記載等は、信用すべき情況のもとに記載されたものであると解するのが相当というべきである。

しかして、右ノートの記載数値等の基となったメモを作成した横山久明において、現在右ノートの記載内容について記憶を喪失していることは前認定のとおりであり、かつ右ノートの記載以外に、実際売上額を把握しうる資料のないことも、先に(四)の(1)で判示したとおりであるから、旧ノート延いてはその写である本件大学ノートの記載のうち、万円単位まで具体的数値の記載された売上額(但し次行との区画線上に記載されたものを除く)の記載部分に関する限り、刑事訴訟法三二一条一項三号の要件を充足する横山久明の供述書として、証拠能力を有するものと解するのが相当というべきである。

(3) そこで、前記大学ノート(符18)の記載と、その記載により得ない営業日の売上額(即ち同ノートに記載のない日および前記のとおり同ノート記載の売上額が実際売上額であることの信憑性に疑問のある日〔前記のとおり、一〇万円と一〇〇万円の各単位までしか具体的数値の記載のない日と、万円単位まで具体的数値の記載があるが、それが次行との区画線上に記載されているものとの両者を含む〕の各売上額)については公表帳簿である収支日計元帳(符10)、クレジット未収金控一冊(符72)、ホステス未収金帳三冊(符77、78、79)、会社未収金控二冊(符74、75)を資料として、昭和四九年一〇月一日から昭和五〇年九月三〇日までの間の現金と掛売の合計実際売上額を算定すると別紙第(二)のとおり合計一〇億五九六七万円である(なお、前記大学ノート記載の数値は別紙第(三)のとおりであり、公表帳簿による売上額は別紙第(四)の(1)ないし(3)のとおりである。)

したがって、右の実際売上額から公表売上額(損益計算書計上額に売上高圧縮額を加えた金額、即ち九億七〇二一万八二七〇円)を控除した残額が現金売上除外額になるところ、右の公表売上額には、前記1の(三)で判示したとおり一旦仮名預金の藤川恵美名義普通預金に入金され、その後公表帳簿の収支日計元帳(符10)に計上された公表分のパーテイ券売上額を含むので、これを控除する必要(即ち、前記のとおり、前記実際売上額は現金と掛売のみで、パーテイ券売上を含まないものである。)がある。

しかるところ、公表分のパーテイ券売上額は右の収支日計元帳によると、合計一四六〇万円であるが、うち二万一〇〇〇円は昭和五〇年三月二四日に返金されており(白川返金分)、また別紙第一のとおり昭和五〇年二月七日までに合計一六一四万六七〇〇円が預金されたのみであるのに、同年三月五日までに右預金額を三三〇〇円超過する合計一六一五万円が引き出されているので、同日引出の二〇万円のうち三三〇〇円は、これに先立つ同年二月一五日に入金した同預金利息がその支払源泉と認められるから、以上の白川返金分と、利息が支払の源泉である分との合計二万四三〇〇円を、前記一四六〇万円から控除した残額一四五七万五七〇〇円が公表分のパーテイ券売上額となる。

そこで前記公表売上額九億七〇二一万八二七〇円から右の公表パーテイ券売上額一四五七万五七〇〇円を控除した残額九億五五六四万二五七〇円が現金と掛売の公表売上額となるから、右金額を前記現金と掛売の実際売上額一〇億五九六七万円から控除した残額一億四〇二万七四三〇円が現金売上除外である。

2. 昭和五一年九月期

(一) 当期売上高三五六四万五八五円の内訳は、次のとおりである。

(1) 売上高圧縮額 一六二〇万五八五六円

(2) 雑品売上除外額 一一九万三九〇〇円

(3) 現金売上除外額 一八二四万八二九円

(二) 前記(一)の(1)の売上高圧縮額一六二〇万五八五六円は、前記1の(二)で判示したとおり圧縮申告していたものであって、同所掲記の証拠によって、当期圧縮額を算定すると次のとおりである。

(1) 公表帳簿上の売上高(圧縮前のもの) 一〇億三一二〇万八一九六円

(2) 納付料飲税額 九二二七万二九四〇円

(3) (2)に相当する売上高((2)÷0.1+(2)、申告額) 一〇億一五〇〇万二三四〇円

(4) 圧縮額((1)-(3)) 一六二〇万五八五六円

(三) 前記(一)の(2)の雑品売上除外額一一九万三九〇〇円の認定について

大蔵事務官前原非利作成の昭和五三年一〇月二四日付調査事績報告書(検184号)、洪政雄作成の昭和五三年五月一八日付上申書(検189号)、洪政雄証言によると、被告会社は当期中に節分祭仮装コンクール、桜まつり、月世界競輪の各行事を催し、その際福袋・ドリンク・カクテルなどを一テーブルにつき一個付けて客に販売しているところ、その売上金を簿外(但し、月世界競輪については売上金の三割のみ除外)としていたものであり、その算出は次のとおりであって、簿外額は合計一一九万三九〇〇円である。

<省略>

(四) 前記(一)の(3)の現金売上除外額一八二四万〇八二九円認定について

(1) 前記1の(四)の(1)で判示したとおり、当期の現金売上についても除外が行なわれているので、右除外額を算定する前提として、実際売上額を算定すると、次のとおりである。

(イ) 昭和五〇年一〇月一日から同年一一月二六日までの間の実際売上額

前記大学ノート(符18)によると、昭和五〇年一〇月一日から同年一一月二六日までの間について売上額の記載があるところ、右記載数値の信憑性について前記1の(四)の(2)で判断したところに従い(即ち、万円単位まで具体的数値の記載のある営業日については、その数値を採る。)、右記載数値により得ない営業日と同ノートに記載のない営業日の各売上額については、前掲公表帳簿(なお、収支日計元帳については、符11の分)によって、現金と掛売の合計実際売上額を算定すると、別紙第(二)のとおり合計一億六〇二四万円である(なお、前記大学ノート記載の数値は別紙第(三)のとおりであり、公表帳簿による売上額は別紙第(四)の(3)のとおりである。)。

(ロ) 昭和五〇年一一月二七日から同年一二月三〇日(三一日は休業)までの間の実際売上額

前記1の(四)の(1)で判示したとおり、実際売上額把握のための資料とみられるリストメンバー表が昭和五〇年一二月三〇日までの期間の分について破棄されているため、検察官はビールの消費量による算定、即ち仕入先に対する日々のビール空ビンの返還本数に、公表資料によって算定したビール一本当りの平均売上額を乗ずる方法によって実際売上額を算出しているところ、弁護人は空ビン返還本数の中には、閉店後慰労のため従業員に飲用させたものや、得意先接待のため提供したものなど無料提供分があるから、右の返還本数全部が客への有料提供分とならないので、右方法によることは不合理である旨争うので、この点について判断する。

ところで、畑本義雄証言、被告人中本の大蔵事務官に対する昭和五三年一〇月一二日付質問てん末書によると、月世界で客に提供される酒類の主体はビールであり、かつ客に新鮮なビールを提供するため買置きをすることなく、日々仕入れ、当日消費したビールの空ビンは翌日仕入先に返還していることが認められるから、実際売上額をビール消費量で算定する方法自体は合理的であり、また日々返還されるビールの空ビン本数によって、返還前日のビール消費量とみることも、その返還本数が客に有料で提供されたものとみられる関係にあれば、これまた合理的なものというべきである。

しかるところ、洪政雄証言によると、当時閉店後、日々男子従業員二〇名程度に、少くとも一人当り半本程度のビールを慰労のために飲用させていたことが認められるから、少くとも一日当り一〇本は無料提供分であると認めるのが相当というべきである。しかしながら、同証言によっても、得意先等に対する接待分については、その供述するところは漠然としていて、にわかにその供述を採ることは困難であるといわなければならない。

以上によれば日々返還されるビール空ビン本数のうち、一〇本は売上にならないものであるから、これを控除するのが相当である。

しかして、ビール一本当りの平均売上額は、公表資料から算出される前記注書期間内に客に提供されたビール本数で、同期間内の公表売上額を除す方法によって合理的に算定できるものと解されるので、右の方法によって算出した売上額に、前記のとおり無料提供分を控除した返還空ビン本数を乗ずる方法によって実際売上額を合理的に算出できるものというべきである。

しかるところ、ビール一本当りの平均売上額は、公表資料の勘定書綴(符84の2ないし5、85の1ないし15、86の1ないし15)から算出したビール消費量(本数)で、収支日計元帳(符11)、売掛関係帳簿(符72、75、79)から算出した公表売上額を除す方法によって算定すると、次表のとおりである(なお、前記勘定書綴によるビール消費量の算出経過は別紙(五)のとおりである。)。

<省略>

註(1) 畑本義雄証言によると、昭和五〇年一二月一〇日から同月三〇日までの間には、これより先に販売されていたクリスマスパーテイ券を持参した客に対し、一枚につき一本の割合でビールが無料で提供されているところ、この本数を前掲勘定から抜き出すと、合計五、八九五本となるので、これを控除すると、同期間内の有料のビール消費本数は前掲表のとおり一万七九〇六本である。

次に、仕入先へのビール空ビンの返還本数を、公表資料の領収書二綴(符20、21)から算出し、これから前認定のとおり従業員に対する一日当り一〇本の無料提供分を差引き、前認定のビール一本当りの平均売上額を乗じて売上額を算定すると、次表のとおり合計一億一六二三万九三六〇円となる。

<省略>

註(1) 前掲領収書二綴によるビール空ビン返還本数の算出は別紙第(六)のとおりであるが、畑本義雄証言によると、月世界は昭和五〇年一二月三一日と翌五一年一月一日の両日休業し、同月二日から営業しているところ、一二月三〇日と一月二日ないし四日の各営業日合計五日間に客に提供されたビールの空ビンは一月五日に一括して仕入先に返還されているので、一二月三〇日分の実数はこれを把握できず推定するほかはないところ、一一月一日から一二月二九日までの間の返還本数(三万七〇六〇本)を、その間の日数で除すと一日平均一一二三本となり、一月五日返還本数(四五〇〇本)を、一二月三〇日と一月二日ないし四日の営業日合計四日で除すと一日平均一一二五本になるので、内輪の数値の一一二三本をもって一二月三〇日の消費本数とみるのが相当である。

註(2) 一二月一〇日から同月三〇日までの間のビール空ビンの返還本数は合計二万五八四三本であるが、右期間内には、これより先に販売され、その売上金が別途経理されているパーテイ券が使用されており、そして前記のとおりパーテイ券売上金を除外してビール一本当りの平均売上額を算出している関係上、右パーテイ券使用によるビール消費(一枚当り一本)を控除する必要があるところ、パーテイ券伝票(符93)、勘定書綴(符87の1ないし13)によると、昭和五〇年一二月のクリスマスにはパーテイ券が八〇四〇枚販売され、そのうち翌五一年一月に三八八枚使用されている(別紙第(五)のとおり)ので、これを控除した七六五二枚が昭和五〇年一二月一〇日から同月三〇日の間に使用されたことになるから、右枚数に相当するビール七六五二本を控除する必要があり、そうすると右期間内のパーテイ券持参客に対する提供分以外のビール消費量は一万八一九一本となる。

(ハ) 以上によると、昭和五〇年一〇月一日から同年一二月三〇日までの間の実際売上額は、前記大学ノート及び公表帳簿から算定した一億六〇二四万円と、ビール消費量から算定した一億一六二三万九三六〇円との合計二億七六四七万九三六〇円になるところ、右期間内の公表売上額を収支日計元帳及び売掛関係帳簿(符72、75、79)から算出すると、合計二億六七〇一万八六八〇円である(その算出は別紙第(四)の(3)下段のとおりである)から、これを前記実際売上額から控除した残額九四六万〇六八〇円が昭和五〇年一〇月一日から同年一二月三〇日までの間の現金売上除外額である。

(2) 昭和五一年一月二日(一日は休業)から同年九月三〇日までの間の現金売上除外額の認定について

(イ) 洪政雄作成の昭和五三年五月一二日付上申書、同人および畑本義雄の各証言によると、ホステスへの指名料払戻の資料とするため、日々の客の組数と、接待に当ったホステスの指名・本番の区別を記録(客一組につき一個の桝目を用い、そこにテーブル番号と客の人数及びホステスの本番・指名の別を色分けしたもの)したリストメンバー表が現存しているが、売上除外を隠ぺいするため除外売上にかかる右記録部分(鉛筆書きのもの)を抹消し、来店した客の組数を減少させているところ、右抹消についてはその痕跡が残っているので、右抹消痕の数を読み取り、その数(即ち、客の組数)に、公表資料から算出される本番・指名の別による一組当りの平均売上額を乗ずる方法によって、除外売上額を合理的に算定できるものと解される。

(ロ) ところで、右の抹消された客の組数の算定について、検察官は洪政雄作成の昭和五三年五月一二日付上申書に基いているところ、弁護人は上申書記載の抹消組数の算定は、抹消か否か不明ないし曖昧なものをも抹消されたものに数えているので不正確であると争うところ、洪政雄証言によると、洪は前記上申書作成に当り、抹消痕か否か不明ないし曖昧なものを一応抹消されたものと判断して抹消組数に計上した旨述べており、従って、抹消痕の不明ないし曖昧なものとして疑いをさしはさむ余地のあるものについては、前記上申書記載の数値から控除するのが相当である。

(ハ) しかるところ、洪政雄証言によると、堀内信夫作成の昭和五六年九月二九日付報告書において疑問符の付けられた数の組数は、本件公訴提起後国税局係官立会の下に、再度リストメンバー表を精密に点検したうえ、抹消痕の不明ないし曖昧なものを拾い出したものであることが認められるので、前記洪政雄作成の上申書の数値から右疑問符が付けられた組数を除外して抹消組数を算定するのが相当というべきである。

そうすると、抹消された客の組数は、昭和五一年一月二日から当期の期末である同年九月三〇日までの間において、

本番の組数は 三七八組

指名の組数は 二四五組

となる。

(ニ) 次に、洪政雄作成の昭和五三年五月三一日付上申書によると、公表資料(勘定書、リストメンバー表)から算定される当期中の本番・指名の別による客一組当りの平均売上額は、次表のとおりであり、その算出は別紙第(七)(上段記載のもの)のとおりである。

<省略>

(ホ) 以上によれば、昭和五一年一月二日から同年九月三〇日までの間の現金売上除外額は、除外本番組数三七八組にその一組当り平均売上額一万八九三円を乗じた四一一万七五五四円と、除外指名組数二四五組に、その一組当り平均売上額一万九〇三一円を乗じた四六六万二五九五円との合計八七八万一四九円である。

(3) 以上によれば、昭和五〇年一〇月一日から昭和五一年九月三〇日までの間の現金売上除外額は、(1)の(ハ)の九四六万六八〇円(昭和五〇年一〇月一日から同年一二月三〇日までの間のもので、大学ノートおよび公表帳簿ならびにビール消費量から算定したもの)と、前記(2)の(ホ)の八七八万一四九円(昭和五一年一月二日から同年九月三〇日までのもので、リストメンバー表から抹消された客の組数から算定したもの)との合計一八二四万八二九円である。

3. 昭和五二年九月期

(一) 当期売上高一億二七七一万六八四三円の内訳は、次のとおりである。

(1) 売上高圧縮額(月世界、呉店のエンパイア、ムーンライト、夜の窓) 五六七四万七一七八円

(2) 雑品売上除外額(月世界) 一二八万一八七〇円

(3) 現金売上除外額(月世界) 三六八四万三七四〇円

(4) 売上除外額(エンパイア) 二〇〇一万八一五五円

(5) 売上除外額(ムーンライト) 一二八二万五九〇〇円

(二) 前記(一)の(1)の売上高圧縮額五六七四万七一七八円は、前記1の(二)で判示した経緯で、月世界の外、呉三店においても、その売上高を圧縮申告していたもので、同所掲記の証拠によると、当期圧縮額の算出は、次のとおりである。

(1) 公表帳簿上の売上高(圧縮前のもの) 一四億三三一万五六六五円

(2) 納付料飲税額 一億二二四一万五三一七円

(3) (2)に相当する売上高((2)÷0.1+(2)、申告書) 一三億四六五六万八四八七円

(4) 圧縮額((1)-(3)) 五六七四万七一七八円

(三) 前記(一)の(2)の雑品売上除外額一二八万一八七〇円は、前記2.の(三)に掲記の証拠によると、被告会社は当期中に水着まつり、桜まつり、月世界競輪の各行事を催し、その際カクテルパンチ、トコロテン、オデン、枝豆などを一テーブルに一個付けて客に販売していたが、その売上金を簿外(但し、月世界競輪については売上金の三割のみを除外)としていたもので、その算出は次のとおりであり、簿外額は合計一二八万一八七〇円である。

<省略>

(四) 前記(一)の(3)の「月世界」の現金売上除外額三六八四万三七四〇円の認定について

(1) 前記2.の(四)の(2)で判示したところに従って、当期(昭和五一年一〇月一日から昭和五二年九月三〇日)中のリストメンバー表から抹消された客の組数を算定すると、

本番の組数は一一一〇組

指名の組数は一二一六組

である。

(2) 次に、前記2.の(四)の(2)の(二)に掲記の洪政雄作成の上申書によると、前掲公表資料から算定される当期中の本番・指名の別による客一組当りの平均売上額は、次表のとおりであり、その算出は別紙第(七)(下段記載のもの)のとおりである。

<省略>

(3) 以上によれば、売上除外額は除外本番組数一一一〇組に、その一組当りの平均売上額一万三四六円を乗じた一一四八万四〇六〇円と、除外指名組数一二一六組に、その一組当りの平均売上額二万八五五円を乗じた二五三五万九六八〇円との合計三六八四万三七四〇円である。

(五) 前記(一)の(4)、(5)の呉二店舗(エンパイア、ムーンライト)の売上除外額は、大蔵事務官前原非利作成の昭和五三年一〇月二四日付調査事績報告書(183号)、洪桂森作成の昭和五三年五月二日受付上申書、洪桂森証言、売上実績グラフメモ三枚(符5)、五二年一二月分営業状況メモ(符19)によって、別紙第八のとおり算出され、売上除外額は前掲記のとおりである。

二  接待交際費について

被告人中本の大蔵事務官に対する昭和五三年一〇月三日付質問てん末書、同被告人の検察官に対する供述調書、同被告人の供述、畑本義雄証言によると、被告人中本は、キャバレー「月世界」に出演するタレントや、そのマネージャーをクラブなどで、簿外から費用を支出して接待していたが、その費用は、昭和五〇年九月期においては開店後日も浅く、高級な店で接待していたため一回当り一〇万円程度支出し、その後は高級店を利用しなくなったことから、昭和五一年九月期と翌五二年九月期においては、一回当り六万円程度の支出をしていたこと、そして、「月世界」にタレントが出演する回数は、各期とも月に六回程度であること、したがって、昭和五〇年九月期には一ケ月六〇万円で年間七二〇万円、昭和五一年九月期と翌五二年九月期には各期とも一ケ月三六万円で年間四三二万円を簿外で支出していたことが認められる。

(なお、被告人中本の供述中には、接待交際費として前認定の金額以上のものを支出していた旨の供述もあるが、その供述するところは抽象的で明確を欠くものであるうえ、検察官の取調において前認定の金額以上の支出がない旨明言し、かつ査察の段階において上申書で支出を明らかにする旨述べていたにもかかわらず、遂にこれを提出しなかった等の経過に徴すると、未だ前認定を動かすものではないというべきである。)

ところで、前記各支出額は一方で犯則損金に計上され、他方で昭和五〇年九月期は支出の全額が、昭和五一年九月期は支出の一部である二四三万円が、昭和五二年九月期は支出の一部である一四四万八七五六円が、それぞれ犯則益金に計上されているところ(なお、畑本義雄証言によると、犯則益金に計上された金額は、租税特別措置法による損金限度超過額であり、その算出は別紙第(九)の(1)ないし(3)のとおりである)、この点について弁護人は、交際費は会計学上はもとより、本来法人税法上も損金(費用)になる性質のもので、単に租税政策上当分の間特別措置法によって一定の限度を超えた支出の損金算入を否認するものであるから、右超過額をほ脱所得(犯則益金)に計上することは不当である旨主張する。

しかしながら、前認定のとおり、前記各支出額は、すべて簿外の裏金から支出したもので、簿外経理という不正な方法によるものであるうえ、前掲被告人中本の検察官調書によって認められる、同被告人が関与税理士から一定限度を超える支出は損金として認容されない旨説明を受けて、前叙のような簿外支出をしていた事情からすると、被告人中本において、不正経理による支出で、当然税務当局から否認されるべきことを認識していたとみるほかはないから、前認定の限度超過額を犯則益金に計上することは相当といわなければならない。

三  募集費について

被告人中本の検察官に対する供述調書、同被告人の大蔵事務官に対する昭和五三年一〇月三日付、同月一二日付各質問てん末書によると、被告会社の営むキャバレーなどの接客業においては、その業績を伸ばすために良いホステスを揃えることが必須のこととされ、このためいわゆるホステス引き抜きの目的で、被告人中本は他の営業スタッフと三名程度で主として九州方面に一回につき二日間の日程で出張していたこと、その費用は旅費、食事代、ホステスへの車代等で一回につき三六万七〇〇〇円程度を要し、これを簿外で支出していたこと、そして昭和五〇年九月期には、開店後間もない時期でホステスの入、退店も頻繁であったため、月に平均四回程度出張していたが、翌五一年九月期は月に平均二回程度、昭和五二年九月期には月に平均一回程度出張していたこと、したがって、昭和五〇年九月期は一七六一万六〇〇〇円、翌五一年九月期は八八〇万八〇〇〇円、昭和五二年九月期は四四〇万四〇〇〇円を、それぞれ簿外で支出したことが認められる。

(なお、被告人中本の供述中には、募集費として前認定の金額以上の支出がある旨の供述があるが、前記二の接待交際費の項で説示したとおり、未だ前認定を動かすに足りないというべきである。)

四  雑収入について

1. 昭和五〇年九月期の一三三七万二七六九円の内訳は、次のとおりである。

(1) レジ余剰金 三万七〇四九円

(2) 雑収入圧縮額 一三三三万五七二〇円

2. 昭和五一年九月期の△三九九一円(なお、別紙修正損益計算書(二)においては、支出の部に計上)は、次のとおりである。

(1) レジ余剰金 △三九九一円

3. 昭和五二年九月期の八三万八二九九円の内訳は、次のとおりである。

(1) レジ余剰金 △三万七三〇一円

(2) 退職ホステス未払給料 八〇万七八四〇円

(3) 退職従業員未払給料 六万七七六〇円

(なお、右(2)と(3)は、検察官主張では昭和五〇年九月期計上額であるが、後記の理由から当期に計上すべきものである。)

4. 前記1.ないし3.の各(1)のレジ余剰金は、洪政雄証言、大蔵事務官山口勲作成の昭和五三年八月四日付調査事績報告書(検179)によると、レジスター係における現金収支の誤差を調整するため別途経理していた余剰金で、仮名預金の福山信用金庫本店斉藤たか子名義普通預金に預金していた簿外の金員であり、前記1.の(2)の雑収入圧縮額は、畑本義雄作成の昭和五三年五月三一日付調査事績報告書、同人の証言、計算書類及附属明細書(符7)によると、昭和五〇年九月期において前記第四の一の1.の(二)で判示した経緯で売上額を圧縮し、これに伴って経費であるホステス報酬六六二四万三五二二円とバンド報酬二五四七万八三四〇円との合計九一七二万一八六二円を減額したが、その減額が過大のため同期売上高圧縮額七八三八万六一四二円との差額一三三三万五七二〇円に相当する額をホステスのドレス代収入(雑収入)から減算して、右差額だけ雑収入圧縮をしたものである。

5. 検察官は、退職ホステスと従業員に対する未払給料を被告人中本が簿外で取得しているから、これを雑収入に計上すべきものとして、次のとおり雑収入に計上している。

(一) 昭和五〇年九月期につき

(1) 退職ホステス未払給料 八〇万七八四〇円

(2) 退職従業員未払給料 六万七七六〇円

(二) 昭和五一年九月期につき

(1) 退職ホステス未払給料 七四万八八六一円

(2) 退職従業員未払給料 二五万五四三八円

(三) 昭和五二年九月期

(1) 退職ホステス未払給料(月世界) 一〇一万四五一二円

〃 (呉店) 二六万四四六〇円

(3) 退職従業員未払給料(月世界) 五〇万一八九一円

しかるところ、弁護人は未払給料は法人税法上の収益計上時期に関する権利確定主義からすると、消滅時効完成後に雑収入に計上するべきであると主張する。

そこで検討してみるに、検察官主張の金額自体は、畑本義雄証言、大蔵事務官畑本義雄作成の昭和五三年一〇月二四日付調査事績報告書の抄本(検176)、従業員出勤簿台帳四冊(符22、23、24、25、)、従業員給料台帳四冊(符26、28、29、30)、従業員賞与努力賞台帳一冊(符27)、従業員出勤簿一冊(符23)、ホステス給料明細表三九冊(符31ないし69)によってこれを認定できるところであり、かつ被告人中本の供述によると、キャバレー等のいわゆる水商売の業界においては、退職ホステスらの従業員が未払の給料を受取りに来ることは殆んどなく、被告会社経営の各店舗においても同様であることが認められるが、退職した個々のホステスや従業員らが明確に権利放棄の意思表示をした形跡の認められない本件の場合、経理処理の安定の見地から認められている権利確定主義に従えば、労働基準法一一五条所定の二年の消滅時効完成後に雑収入に計上することが相当というべきである。

しかるところ、昭和四九年一〇月一日から昭和五〇年九月三〇日までに退職した「月世界」のホステスと従業員に対する未払給料(別紙第(三)の(1)、(2)のとおり、ホステス未払給料は八〇万七八四〇円、従業員未払給料は六万七七六〇円である。)は、昭和五二年九月期の期末までに前記二年の時効期間が経過することは計算上明らかであるから、右金額の合計八七万五六〇〇円を、昭和五二年九月期の雑収入に計上するのが相当であるが、検察官主張の昭和五一年九月期と翌五二年九月期の各未払給料については、未だ前記時効期間が経過していないから、これについては公訴提起にかかる事業年度の雑収入に計上することはできないものといわなければならない。

五  売上除外額に対する料飲税額の損金計上について

弁護人は、被告会社は売上高の一〇パーセント相当額を料飲税として納税する義務を負担しているところ、右料飲税は被告会社が特別徴収義務者として店の遊興、飲食等の代金(課税標準)の一〇〇の一〇を特別徴収義務者として納税義務を負うものであって、預り金の性格を有するから、実際売上高の一〇パーセント相当額は各期とも「預り料飲税」という勘定科目で犯則損金に計上すべきところ、検察官は被告会社が実際に納付した金額、即ち

昭和五〇年九月期について 八一〇七万五六四八円

昭和五一年九月期について 九二二七万二九四〇円

昭和五二年九月期について 一億二二四一万五三一七円

のみを、損金として認容したことは料飲税の性格からみて不当である旨主張する。

しかしながら、損金経理の認められる租税についても、一般に損金算入が許されるのは債務の確定していることが要件とされるべきところ、簿外売上高については、その一〇パーセント相当額の料飲税額が債務確定しているとは認められないし、料飲税の性格が特別徴収方式の租税として預り金であるとしても、簿外売上高に対する料飲税額を預り金として損金経理をせず、加えて被告人中本において売上除外を指示しその認識がある以上、簿外売上高の一〇パーセント相当額を犯則損金に計上することはできないものと解するのが相当である。

六  事業税の損金計上時期について

弁護人は、事業税は法人の場合、法人税の課税標準(所得)と同一の課税標準で、これに所定の税率を乗じて税額が算出されるところ、法人所得は当該事業年度終了の日に、少くとも確実な債務として確定しているから、右所得に対する事業税も確定しており、当該年度の損金というべきであって、翌期の損金とすべきではない旨主張する。

しかしながら、法人がその所得算出に関する一切の資料を公表し、一切の簿外経理がない場合であれば、事業年度終了の時点において、事業税が確実な債務として認識可能であるとの所論も首肯できないわけではないが、本件のように売上除外等の不正経理が行なわれている場合には、事業年度終了の時点において、確実な債務として認識可能な程度に事業税額が確定しているものとは到底認めることはできないといわなければならない。

(なお、昭和五一年九月期、翌五二年九月期の各事業税充当額の算出は別紙第(二)のとおりである。)

七  支払利息について

被告人中本の大蔵事務官に対する昭和五三年二月一七日付、同年一〇月二日付各質問てん末書、岡本雅美、戸田健二の各証言、訴訟関係綴一冊(符17)、賃貸借契約書関係綴一綴(符91)、計算書類関係明細書(第三期)一冊(符8)によると、

「前記第一で判示したとおり、蔡芳石と被告人中本間に被告会社の経営権をめぐり発生した紛争は、昭和五〇年九月二九日裁判上の和解により解決したが、その際、和解外で右両者間に和解条件である蔡芳石が立替えた月世界の店舗賃貸借の敷金四五〇〇万円を、被告会社が蔡芳石に返済した時は、蔡芳石名義の被告会社株式六〇〇株のうち、四〇〇株を被告人中本において譲り受けること、また被告会社と蔡芳石間の債権債務もすべて清算して消滅させること、被告会社が日中興業株式会社に対して有する貸付金の残債五五〇万円も清算すること、以上の内容の口頭の約束が成立し、昭和五一年二月日前記和解条件が履行された際前記口約も実行され、被告会社から日中興業株式会社に対して、前記残債の担保手形である額面各五〇万円の手形一一通(額面合計五五〇万円)が返済され、その際現金の授受はなかったこと、そして、関与税理士戸田健二において、以上の事実関係について次表のとおり会計上の処理をした。

<省略>

なお、蔡芳石が立替えていた敷金四五〇〇万円について、その立替の当時も、また前記和解の際にも、被告会社と蔡芳石との間において利息の約束はなく、現実に利息の支払もなかった。」以上のとおり認められる。

そこで、検察官は利息の約束も、現実にその支払もないうえ、被告会社と蔡芳石間の債権債務の清算であるから、本来株式も被告会社の取得したものとして、これを時価で評価して、一旦被告会社の資産として計上すべきものであるから、前記支払利息として処理された金員等は犯則益金に計上すべきものとして、これを計上しているところ、これに対して弁護人は、被告人中本は個人として株式を取得したものであって、右取得は被告会社と蔡芳石間の債権債務の清算とは全く無関係であること、そして前記支払利息として経理されたものは、被告会社の債権債務の清算に起因し、清算のために発生したものであって、被告会社の資産の減少であることは明らかであるから、被告会社の資本等取引以外の取引による資産の減少として、損金である旨主張する。

そこで判断するに、前記のとおり合計八三八万一一〇八円の金員等が利息として支払われた旨の会計上の処理は、前認定の経緯に徴して事実に合致しない疑いのあるところであるが、蔡芳石持株が被告人中本に譲渡された際に作成された書面(譲渡書)の宛名が被告人中本個人であることに徴すると特別の事情のない限り、右の株式譲渡は被告会社への譲渡(即ち、被告会社の自己株式の取得)というよりは、むしろ被告人中本個人への譲渡とみる方が自然であり、加えて畑本義雄証言によって認められる、右株式の評価もされていないことからすると、前記支払利息として金員等の出捐が右の株式譲渡に係る精算金であると断ずることも困難というべきであり、結局前記支払利息名義の金員等の出捐が被告会社の資本等取引によるものと認めさせる確証はないというほかはない。

しかして、前記の出捐が被告会社の資産の減少であることは明らかであるから、法人税法二二条三項に則り、これを損金として認容すべきものである(したがって、昭和五一年九月期の損益計算書の犯則益金から削除すべきものである。)

八  貸倒損失について

被告人中本の大蔵事務官に対する昭和五三年一〇月二日付質問てん末書、畑本義雄証言によると、貸倒れは昭和五二年九月期において、売掛金の債務者が倒産して回収不能になった朱竹エースレーンに対する二四万五九〇五円、できや商事に対する三万一四一六円、朝日木材に対する一万二一五五円の三件合計二八万九四七六円であり、その余はないことが認められる。

(法令の適用)

被告人中本の判示第一ないし第三の各所為は、脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律(昭和五六年法律第五四号)附則第五条により改正前の法人税一五九条一項に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重いと認める判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役一年に処し、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、被告会社の判示第一ないし第三の各所為は、前記改正前の法人税法一六四条一項、一五九条一項に該当するところ、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により各罪所定の罰金の合算額の範囲内で被告会社を罰金一五〇〇万円に処し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条を適用して、被告人両名の連帯負担とする。

(量刑の事情)

本件において、被告会社の三期にわたる実際所得金額は合計三億四五九三万三一八〇円で、正規の法人税額は一億三五二二万八七〇〇円であるにもかかわらず、申告所得は一億七七二三万五〇四円、申告税額は六七七四万七五〇〇円でほ脱所得額は一億六八七〇万二六七六円、ほ脱税額は六七四八万一二〇〇円にのぼり、所得のほ脱率は四八・七七パーセントに達し、被告会社は実際所得の五〇パーセント強を申告したに過ぎないものであること、所得秘匿の手段としては、発覚の困難な現金売上について勘定書等を破棄または改ざんして除外を行い、除外による裏金は会社幹部間で分配したものであること、納税が国民の義務であり、脱税事犯が国民の健全な納税意識ないし納税倫理を著しく損う悪質な犯罪であること等の事情に照らすと、被告会社の業務の事実上の掌理者として、さらにその後代表者として本件ほ脱行為に関与した被告人中本の刑事責任は軽視できないものといわなければならない。

しかしながら、他方本件売上除外は、被告会社設立に当って最大の出資をした蔡芳石から裏金を要求されて、その意を迎えることに端を発したものであって、事実同人が多額の裏金を取得している事情が窺われること、本件発覚後は新しい顧問税理士の関与のもとに公明な経理をしていること、現在ではほ脱所得に対する法人税の本税は完納し、重加算税についてもその分納をしている状況にあること、被告人両名には、これまで罰金に処せられた前科がそれぞれ一件あるのみで、同種前科はないこと、その他前記ほ脱率、被告会社代表者でもある被告人中本の反省改悟の情等を総合考慮すると、被告人両名に対する科刑としては、主文掲記程度の量刑が相当と思料される。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 丸山明 裁判官 三島昱夫 裁判官 大段享)

修正損益計算書(一)

自 昭和49年10月1日

至 昭和50年9月30日

<省略>

<省略>

修正損益計算書(二)

自 昭和50年10月1日

至 昭和51年9月30日

<省略>

<省略>

修正損益計算書(三)

自 昭和51年10月1日

至 昭和52年9月30日

<省略>

<省略>

税額計算書

(一)

<省略>

(二)

<省略>

(三)

<省略>

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